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    「やるかやらないか」の二択。常識を覆す逆張り経営で、地方から圧倒的なスピードで市場を席巻する。【株式会社セレクション】

    2026.07.22

    株式会社セレクション/代表取締役社長

    大坪 祐輔


    ゼロから12店舗を展開した仕組み化の極意と、未来を担う若者へ贈る挑戦の美学。

    高校時代の原体験からタイヤ業界の価格破壊に挑んだ独立の経緯、有言実行を果たした多店舗展開の舞台裏まで、その型破りな経営哲学に迫ります。さらに、地域活性化への想いや独自のマーケティング視点、次世代を担う若者たちへの熱いメッセージを収録。「失敗を恐れず、人がやらない道を突き進む」ことの本質を紐解く、必読のインタビュー記事です。


    1. どん底を見た高校時代と、商売の原点
    ーまずは、独立される前のバックグラウンドや、これまでの経緯について教えてください。

    高校生の時に、親の事業の失敗で「学校の教科書も買えない」というどん底を経験しました。だからずっとアルバイトをして自分で稼いでいたんです。学校にはほとんど行っていなくて(笑)、当時は携帯電話のオークションを使って、海外からブランド品を仕入れてネットで販売していました。その時に「薄利多売」を覚えたんです。とにかく資金をどんどん回転させていたら、すっごく売れた。この時に「あ、自分はこういう商売の方が性に合っているな」と肌で理解しました。

    2. タイヤ業界への飛び込みと、見えてきた「価格の歪み」
    ー高校卒業後は、タイヤメーカーに就職されたのですね。

    隼人工業高校出身ですが、どうしても「やった分だけ評価されて、稼げる営業がしたい」と思って、たまたま募集のあったタイヤメーカーに応募しました。

    入社当初は、配送などの現場仕事からスタートしました。営業成績が良くて表彰されたこともあるのですが、その時に貰った副賞が「ビール券1枚」だったんです。「これだけ会社に貢献してビール券1枚か……」というギャップはありましたね(お給料自体は凄くいただいていたのですが)。その後、先輩が他のメーカーに引き抜かれたのをきっかけに、僕にも「もっと給料を上げるから来ないか」とオファーをいただきました。

    でも、その時にはすでに自分で勝負してみたい気持ちが芽生えていたので、「1年だけ待ってください。自分でやりたいことをやって、失敗したらそっち(オファー先)に行きます」と伝えて、26歳で開業(独立)しました。失敗しても次の道がある、という状態を自分で作って退路を断ったわけです。

    ー独立を意識する中で、業界のどんな課題に気づいたのですか?

    メーカー時代、仕入れ値と売り値の差、いわゆる「流通の仕組み」に衝撃を受けました。カーディーラーなどで販売されているタイヤって高いですよね。でもあれは、小売店が暴利を貪っているわけではなく、メーカーからの卸値自体が元々高いんです。

    実は、流通ルートや仕入れの規模によって、仕入れ値に30〜40%もの開きがある。当時、宮崎県で「ビーライン」という激安タイヤ店が出始めていて、メーカーの人間としてその仕組みを知っていました。「霧島(鹿児島)から車で30分走って宮崎に行くだけで、タイヤが34%も安く買える」という現実があったんです。

    僕はメーカーの上層部に「もっと価格を下げて流通させれば、鹿児島でも爆発的に売れる」と何度も提言しました。でも、メーカーとしては既存の価格崩壊を恐れて踏み切れない。上からは「もっと売れ(シェアを広げろ)」と言われるけれど、価格は下げられない。飛び込みの新規営業をいくらやっても拉致があきません。「だったら、自分で価格をひっくり返すビジネスをやった方が早い」と思ったのが、独立の決定打です。

    3. 「タブー」への挑戦と、電撃的なパートナーシップ
    ー業界の価格構造に切り込むとなると、風当たりも強かったのでは?

    周囲からの猛反発や、メーカーからの「袋叩き」に遭うのは百も承知でした。でも、僕は悪いことをしているわけじゃない。向き合っているのは「お客様」です。だから、叩いてくる勢力は敵だと割り切って、「とことん尖って、向こうが痛みを見るくらい圧倒的な存在になってやろう」と思って始めました。

    すると、始めて半年から1年が経った頃、なんと宮崎の「ビーライン」の社長さんから逆に声がかかったんです。「君がやっていることは正しい。一緒に手を組みませんか?」と。宮崎から九州・全国展開を仕掛けていくにあたり、鹿児島は君に丸ごと任せたい、というオファーでした。

    叩かれる覚悟はしていましたが、まさか本家から引っ張られるとは想定してい外でしたね。でも、お互いの「勝つための思い」が完全に共感した瞬間でした。

    共同仕入れという強み よくうちはフランチャイズ(FC)と言われますが、厳密には違います。ビーラインの社長も元タイヤメーカー出身なので、安く売るための本質(=どれだけメーカーから大量に仕入れられるか)を分かっている。ただ、大量仕入れのデメリットは、売れにくいサイズや在庫も引き受けなければならない点です。 だからこそ、個々のFCではなく「共同仕入れの母体」として、一緒に仕入れて一緒に売る。看板は統一するけれど、運命共同体としてスケールメリットを活かす。その戦略に深く納得したからこそ、今の爆発的な成長があります。

    4. 10年で10店舗の有言実行、そして「仕組み化」
    ーそこからの出店スピードは凄まじかったですね。

    開業当初から、周囲には「10年で10店舗作る」と言い続けていました。なぜなら、似たような後発業者が真似して出てくる前に市場を圧倒しなければ「やられる」と分かっていたからです。それに、大量仕入れを維持するためには、それだけの「ハケ口(販売店舗)」が数字上、絶対必然でした。

    だから半年に1店舗のペースで出店しました。オープンして3ヶ月後には、もう次の店舗の準備に入っている状態です。常に自分で走り回って場所を探していました。

    最初の4〜5店舗目の頃、まだ契約して2〜3年目の税理士さんからは「まだ数字(利益)が追いついていない。出費が大きすぎるから、一度出店を休憩しましょう」と止められました。でも、僕は「休憩はいらない。行ける時にどんどん行かないと意味がない。結果は後から必ず出る」と。税理士さんは「過去の数字」を見ますが、僕は「未来の感覚」で動いていた。実際に数字が出始めてからは、税理士さんも「こういうことか!とことん行きましょう。銀行は僕が説得します」と、最大の味方になってくれました。

    ちなみに、僕の起業は完全なるゼロスタートです。親から1円も支援は受けていません。サラリーマンを辞めた時は地元の銀行しか知らなくて、「必要額700万円のうち、500万円なら出す」と言われ、残りの200万円は当時乗っていた車を売って作りました。本当にゼロからのスタートです。

    5. 無駄を徹底して削る、これからの「理想のオフィス形態」
    ー新しくオフィス兼店舗を移転されるとお聞きしました。

    いま僕たちがいる場所は「物流倉庫 兼 本社」です。でも、僕の持論として「本社オフィス」って一番無駄な場所なんですよ。お金を産まないですから(笑)。

    これまでは姶良店を賃貸で運営していましたが、今度の新しい場所は土地・建物を購入しました。そこに「本社」「物流倉庫」「店舗(新・姶良店)」をすべて併設します。自社物件なので、今の本社の維持費よりも安くなりますし、旧・姶良店の家賃もなくなる。コストを大幅に削減しながら、店舗としての売り上げも立つ。僕がずっと理想として描いていた経営形態が、今回の移転でようやく実現します。

    6. 地域への恩返しと、飲食事業への進出
    ータイヤ事業だけでなく、飲食事業や市議会議員など、多方面で活動されている背景を教えてください。

    飲食を始めたきっかけは、地元の姶良市加治木町への想いです。一時期、市議会議員を務めさせていただく機会があったのですが、僕はその議員報酬には一切手をつけないと決めていました。いただいた報酬は、すべて地元に還元したかった。

    加治木の飲み屋街(港通り)が、当時は本当に閑散としていて暗かったんです。「ここをパッと明るくできないか」と考え、議員報酬を原資にして1店舗目となるフーズバー(Bar)を作りました。街おこしの一環ですね。うちの店が一番外灯を明るくして、ビジョンもつけて、外に情報を発信し続けました。

    地方ならではの悔しい部分もあります。うちはインボイスもキャッシュレス決済もすべて対応していますが、周囲の個人店さんはまだほぼ現金のみ。僕一人が頑張っても意味がなくて、地域全体で時代についてきてほしいというもどかしさはありますが、まずはうちが筆頭となって、地域の新しいモデルを示していきたいと思っています。

    その後、天文館でも同級生から「一緒に飲食店をやりたい」という話があり、出店を決めました。実は僕、包丁すら触れないんですよ(笑)。基本、僕は「任せるスタイル」です。店舗の運営も、飲食も、すべて信頼できる人間に任せています。

    「社員がやりたいことができる環境・舞台を作る」こと。それこそが、会社であり、経営者である僕の仕事だと思っています。

    7. 10年後を見据えた「逆算」の人生設計
    ー20代で独立し、30代で市議会議員、そして経営の第一線から現場を離れる……すべてのスピードが圧倒的です。

    商工会青年部(45歳未満の小規模事業者・経営者の全国組織)に所属しているのですが、僕はその全国のトップ(会長)を目指していました。将来的には、商工会の組織内候補として参議院議員(国政)の枠を目指したいという想いがあったんです。

    国政を目指すとなった時、10年後・20年後に「市議会議員の経験があるかないか」は大きな差になります。「やれるうちに、必要な経験はすべて積んでおこう」と、10年後から逆算して動いていました。経営をしながらの議員活動でしたが、何事も経験して損することはありません。

    また、26歳で開業した時に「10年で10店舗作って、俺は現場を辞める(第一線を退く)」とも宣言していました。実際に開業して6年目くらいには、現場を完全に離れて組織化・仕組み化へと舵を切っていました。そうやって権限を委譲していかないと、会社は絶対に大きくならないからです。

    プライベートでも、20歳で結婚して、25歳でマイホームを建てて、26歳でクラウン(高級車)に乗っていました。周りからは「早すぎる」と言われましたが、高校生や若い子たちに「地方でもこれだけできるんだ」という夢やリアルを見せたかった。

    8. 若者たちへ贈るメッセージ:「失敗」なんて存在しない

    【セレクションが大切にする 成長の3大マインド】

    1. 「やるか、やらないか」の二択。悩む前にまず動く。

    2. 「失敗」はない。すべては未来への「経験」と「リスクヘッジ」。

    3. 常に日常の「なぜ?」を逆分析する(マーケティング=心理学)。

    ーこれからの未来を担う若い世代(高校生・大学生)へ、一番伝えたいメッセージをお願いします。

    今の若い子たちからよく「失敗しないためにはどうすればいいですか?」という質問を受けます。僕の答えはシンプルで、「それを失敗と思わなければいい。ただの経験だ」ということです。

    失敗を恐れてみんなと同じ安全な道ばかり歩いていたら、その他大勢のままで終わってしまいます。人と違う成果を出したいなら、人がやらないことを率先してやる。僕の人生はまさに「逆張り人生」です。目の前にやったことがないもの、見たことがないものがあれば、ワクワクして「経験したい!」と飛び込んできました。

    学校ではアルバイトを禁止するところもありますが、大人になって思うのは、「部活の縦社会や、アルバイトでの社会経験ほど、社会人になって役に立つものはない」ということです。挨拶ができる、理不尽に耐える、人とコミュニケーションを取る。学校の勉強も大切ですが、現場での経験こそが本当の生きる力を育てます。

    それと、日常の中で常に「なぜ?」と問い続ける癖をつけてほしい。 例えば、自分が「この店、美味しそうだな」と思って入った瞬間、「自分はなぜこの店に入ろうと思ったのか?」を逆分析するんです。看板の色使いか、文字の配置か、それとも雰囲気か。これらを紐解いていくと、すべて「人間の心理学(マーケティング)」に繋がっていることが分かってビジネスがすごく面白くなります。

    9. 最後に:今後の展望と「社員」への想い
    ー沖縄への進出など、さらに未来へ向けた展開を教えてください。

    今後は、タイヤ事業のさらなる店舗展開はもちろん、順調な飲食事業の拡大、そして沖縄エリアをもっと大きくしていきたいですね。

    今、各店舗の採用面接には僕、入っていないんですよ。現場を見ていない僕が面接するよりも、実際に一緒に働く現場の人間が面接した方が、お互いのためになりますから。そこは役割を明確に分けて任せています。

    最後に一つ。僕は、一緒に働くメンバーのことを「従業員」と思ったことは一度もありません。文字通り「従う人」という意味になってしまうじゃないですか。僕は上から「あれしろ、これしろ」と従わせるのが大嫌いだし、自分自身が人に従うのが嫌だから独立したわけですから(笑)。

    だから、うちのメンバーは全員「社員(会社の一員)」です。 セレクションという会社は、僕一人で大きくしたわけでは絶対にありません。これまで携わってくれた、すべての「社員」みんなが一緒になって大きくしてくれた会社です。これからも彼らが主役となって輝ける舞台を、僕は作り続けていきます。


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